2013年11月15日金曜日

音楽の花束をお届けします!

季節ごとに講演会を行っている大山村塾ですが、文化事業にも取り組みたく、今回は室内楽アンサンブルコンサートの共催をさせていただくことになりました。
来週末の開催です。ぜひお越し下さい。

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音の花束コンサート

室内楽アンサンブル Bouquet des Tons

結成20年を昨年迎えた室内楽アンサンブル”Bouquet des Tons”(音の花束)がクラシックの名曲から、日本の歌まで、音楽の花束を携えて鴨川へやってきます!深まりゆく秋の里山でのあたたかな室内楽の世界へどうぞお越し下さい。

フルート 齊藤佐智江
ヴァイオリン 飯島多恵
ピアノ 猿渡紀子

<プログラム>
J.パッヘルベル カノン
J.S.バッハ G線上のアリア
G.ドーレ 組曲「ドリー」より
A.ビアソラ リベルタンゴ
<日本のうた>より
里の秋
赤とんぼ
大きな古時計

日時:2013年11月24日(日)
open 17:30 start 18:00 
会場:シュガーソルトカフェ(鴨川市金束375−1)
チケット 前売り 大人1500円 小〜高校生 800円
当日       大人2000円 小〜高校生 1200円 
*小学生未満のお子様は無料ですが、静かにお聞きになれないようでしたら、ご退席いただきます。   

お問い合わせ/チケット予約 tel:090-4410-6882 (平日は午後5時以降)
e-mail:office.dingle@gmail.com(ディングル企画 渡辺)   

主催:ディングル企画 共催:大山村塾

<Bouquet des Tons(音の花束アンサンブル)>
1992年にアンサンブルの楽しさをより多くの人たちと分かち合おうと、室内楽グループBouquet des Tons(音の花束アンサンブル)を結成。近年は活動拠点の千葉、東京だけでなく、長野、名古屋などでも演奏の場を持つようになり、信州中野の高野辰之記念館、小布施の新生病院や北斎館で演奏するなど、活動の場を広げている。また、幼稚園、小中学校での音楽鑑賞会や、病院、協会での演奏のほか、チェンバロ室内楽の新たな可能性を探ろうと、委嘱作品、委嘱編曲の初演を毎年すみだトリフォニー小ホールで行っている。また2009年以来、スイス在住のオイリュトミスト、森ひろ美らのオイリュトミー公演に出演し、東京、大阪、名古屋、島根で共演。2011年はるに、協同医書出版より「脳を学ぶ③ブーケデトンとの対話」としてCD付きの本の出版を機に、コンサートで要望の多かった日本の曲を収録したCD<Anthologie>をリリース。
ホームページ:http://www.geocities.jp/bouquetdetons/


<プロフィール>
フルート 齊藤佐智江
茂原市出身。武蔵野音楽大学卒業後、ベルサイユ音楽院とパリ・エコール・ノルマル音楽学校にて室内楽とフルートを学び、以来アンサンブルの魅力にとりつかれ、室内楽を衷心に活動する。音楽関係の翻訳、通訳も行う。エアリー・フルート・カルテット・メンバー、フルートアンサンブル・レヴリを主宰。

ヴァイオリン 飯島多恵
武蔵野音楽大学卒業、同大学院修了。全日本学生音楽コンクール入賞。在学中、同大学管弦楽団の欧州演奏旅行にソリストとして参加。皇居桃華楽堂の御前演奏会に出演。NHK洋楽オーディションに合格しFMに出演。スイスの国際メニューヒン音楽アカデミーに奨学生として留学し「カメラータ・リシー」のメンバーとしてヨーロッパ各地で演奏活動を行う。現在、アンサンブル・コルディエ、アストルカルテットなどで活動を展開している。武蔵野音楽学園講師。

チェンバロ 猿渡紀子
茂原市出身。武蔵野音楽大学ピアノ科卒業。在学中より伴奏法に興味を持ち、伴奏法を加納悟郎氏に師事。声楽、管弦楽器の伴奏者として声楽リサイタルやサントリー小ホールでのリッジウェイコンサートをはじめ、数多くのコンサートに出演。その後、チェンバロを高橋尚子氏に師事。現在は室内楽を中心に活動を続けており、室内楽アンサンブルを楽しむ会「アリオン」を主宰。

2013年10月21日月曜日

小出裕章講師、第9回講演会要旨

高野孟のTHE JOURNALより、先日行われた第9回講演会の要旨をお届けします。
高野孟塾長のメールマガジンは、毎週月曜日発行です。どうぞご覧ください。

〓〓〓 INSIDER No.702  〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

今も終わらない福島原発事故の真実
──小出裕章助教の大山村塾講演の要旨

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 京都大学原子炉実験所の小出裕章助教は10月19日、鴨川市の大山公民
館で開かれた第9回講演会で約150人の聴衆を前に「今も終わらない福
島原発事故の真実/子どもたちの未来のために私たちに何ができるのか
?」と題して講演した。以下はその要旨である。

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 みなさんこんにちは。今日はたくさんの方がお集まり頂きありがとう
ございました。残念ながら福島の原子力発電所の事故は起きてしまった
し、ますます悪くなっているのではないかと思うほどに、今現在も進行
中です。今日はその話をしたい。

●原発はお湯を沸かしているだけ

 多くのみなさんは、これまで原子力発電というものにほとんど注意を
払ってこなかったと思う。国も電力会社も安全だと言っている、マスコ
ミも毎日毎日、安全だという宣伝しか流さなかったわけだから、何とな
くそんなものだろうと思って過ごされてきたのだろう。とくに原子力と
いうと面倒くさいことをやっているんだろうなぐらいに思っていたので
はないか。しかし原子力発電というのは難しいことは何もしていない。
原子力発電も火力発電所も蒸気機関だ。200年前にジェームズ・ワット
らが蒸気機関を発明した。水を沸騰させて湯気を噴き出させることがで
きれば、その湯気の力で機械を動かすことができることを見つけたわけ
だが、原子力発電も火力発電もその蒸気機関だ。みなさんが家庭でお湯
を沸かすのと同じことをやっているだけだ。
(図1 http://bit.ly/17D33zx )

 左下が火力発電所で、配管の中に水を流し、配管の外側から石油、石
炭、天然ガスを燃やして配管の中の水を温めると、水が蒸気になって噴
き出してきてタービンの羽根車を回す。羽根車に発電機が繋がっていて
発電する。これだけだ。要するにお湯を沸かしている。左上の原子力発
電も同じで、真ん中の繭のような構造物が「原子炉圧力容器」で、皆さ
んも家庭で使う圧力釜である。ただし、分厚い鋼鉄でできていて、厚さ
は16センチもある。その中にウランが入れてあり、釜の中に水が張って
ある。そしてウランを核分裂させる、つまり燃やすと、水が沸騰して蒸
気になって噴き出してきて、タービンを回し発電する。要するに、何て
ことない、ただお湯を沸かしているだけなのだ。

 ただ、この原子力発電所だけは都会には建てられなかった。東京電力
は、原子力発電所を3カ所に持っていた。1つは今日聞いて頂く福島第
一原子力発電所、もう1つは福島第二原子力発電所で、福島県、東北地
方だ。東京電力とは関係のない遠いところに原子力発電所を建てて、長
い送電線を敷いて、東京に電気を送ってきた。もう1カ所、東京電力が
持っているのは柏崎刈羽原子力発電所で、これは新潟県。そして事故が
起きる前に東京電力はもう1カ所作ろうとしていて、それは青森県の東
通村、下北半島の最北端にある。そういうところに建てて、東北地方を
縦断して送電線を敷いて東京に電力を送ろうとしていた。この原子力発
電所だけはどうしても東京には作れない。どうしてかと言えば、ここで
燃やしているのがウランだからだ。

 ウランを燃やして核分裂させると、核分裂生成物という放射性物質が
生み出される。どうしようもない。そしてそのどうしようもなく生み出
される核分裂生成物の量が、はんぱではない。(図2 http://bit.ly/17D33zx )
左下の小さな青い四角が、広島の原爆が炸裂したときに核分裂したウラ
ンの重量で800グラムだ。このペットボトルの水がたぶん500グラムで、
ポンポンと投げられるくらい軽い。これとほとんど変わらないくらいの
ウランが核分裂したとたんに広島の街が壊滅してしまった。それほどの
エネルギーを出した。私はそのことを知って、原爆は大変悲惨だと。し
かしこんなに大量のエネルギーを生む力があるのなら、それを平和的に
使えば人類のためになると信じ込み、原子力発電をやろうと思って、大
学に入るときに工学部原子核工学科をわざわざ選んで、そこに進んだ。
では私が夢を賭けた原子力発電をやろうとすると、どれだけのウランを
核分裂させなければならないかというと、この赤い四角になる。今日で
は100万キロワットが標準だが、その原子力発電所1基を1年運転させ
ようとすると1トンのウランを核分裂させなければならない。広島原爆
のゆうに1000倍を超えるようなウランを燃やさなければ発電所が動かな
い。

●死の灰が原子炉に溜まる

 まず1つ重要なことは、原子力発電所をやろうとすると大量のウラン
が必要になる。地球上のウランはそんなに多くないので、ウランがすぐ
になくなってしまうことに気付いた。みなさんはたぶん、化石燃料が枯
渇してしまうから次は原子力だと思っているかもしれないが、そんなこ
とはまったくない。ウランという資源は石油に比べても、エネルギーの
量に換算して3分の1くらいしかない。石炭に比べれば数十分の1しか
ないという大変貧弱な資源だった。そんなものに人間の未来を賭けるの
は初めから間違いだったということだ。私も間違えて原子力に行ってし
まった。

 そしてこの図はもう1つ重要なことを示している。800グラムのウラ
ンが燃えたら、800グラムの核分裂生成物、死の灰が生まれるというこ
とだし、1トンのウランを燃やすということは1トンの死の灰を作ると
いうことだ。つまり1基の原子力発電所が1年動くごとに広島原発の
1000発分を超えるような死の灰を原子炉の中にドンドン溜め込んでいく、
そういう機械だった。こんなものが万一外へ出て来れば大変なことにな
ることは誰にも分かる。私も分かった。これはダメだと思った。機械は
必ず壊れる。人間がどんなに壊れないでほしいと願ったところで、壊れ
ることはある。それならば、こんな膨大な危険を抱える機械は使っては
いけないと思うようになり、1970年から原子力を止めさせようとして生
きてきた。

 でもほとんどの日本の政治や経済を動かしている人たちは、そうは思
わなかった。確かに危険はあるけれども何とかなるだろうと思い続けて、
今日まで来てしまった。ただし彼らも万一でも何かあったら困るから、
原子力発電所だけは都会に作らないで田舎に押し付けてきたのである。

●3分の2のエネルギーは海に捨てる

 100万キロワットというのは、電気になっているのがそれだけだとい
う意味だ。しかし蒸気機関はエネルギーの一部しか有効に使えない。原
子力発電所は大変効率の悪い蒸気機関で、100万キロワットの電気を作
ろうと思うと、そのほかに200万キロワット分のエネルギーを使えない
まま捨てるしかない(図3 http://bit.ly/17D33zx )。ではどうやっ
て捨てるかというと、これだ(図4 http://bit.ly/17D33zx )。100万
キロワットが電気になる。しかしその2倍の200キロワット分は、実は
海に捨てて海を温めている。敷地の中に海水を引き込んできて、復水器
の部分で熱を海水に移して海に捨てる。つまり海を温めてその水をまた
海に戻している。

 一体どのくらいの量の水をどのくらいの温度に温めているかというと、
1秒間に70トンの水を温度7℃上げる。1秒間に70トンの流量とは、東
京には荒川とか多摩川とか結構大きい川があるが、あの川は1秒間にせ
いぜい30~40トン程度。それなのに原子力発電所では1秒間に70トンと
いう巨大な川が出来て、その水の温度が7℃上がる。7℃の温度上昇と
いうものを想像できるだろうか。例えば皆さん今日お宅に帰ってお風呂
に入る。まずご自分が好きな温度の風呂に入って、それから温度を7℃
上げてもう一度入ってみてほしい。私は42、43℃の熱めの風呂が好きで、
それを7℃上げれば50℃で、たぶん入れない。

 そしてこれは海であり、生き物が生きている。風呂に入りたくてそこ
にいるわけではない。そこの温度が7℃上がってしまえば、生きられな
くなる。そのため、私の恩師の1人である東京大学で教鞭をとっていた
水戸巖さんという人がある日に「みなさんが原子力発電所と呼んでいる
ものはそういう名前で呼んではいけない、あれは“海温め装置”と呼び
なさい」と。ああそうだったんだと、私は目から鱗が落ちる思いだった。
それほど馬鹿げたものだ。

 合計で300万キロワットの熱が原子炉の中で出ているわけだが、それ
が全部ウランの核分裂によって出たものかというと、実はそうではない
(図4 http://bit.ly/17D33zx )。300万キロワットのうち279万キロ
ワットはウランが核分裂して出しているが、残りは「崩壊熱」。先ほど
言ったように、原子炉の中にはどんどん死の灰が溜まってきて、それが
放射線を出している。放射線はエネルギーの塊で、エネルギーは最後に
熱になる。そこに死の灰がある限りどんどん熱を出すことになる。それが
21万キロワット分ある。原子力発電所で何か事故が起きた時に、ウラン
の核分裂を止めることは比較的容易にできるが、すでに溜まってしまっ
た死の灰がそこにある限りは、それは止められない。

 21万キロワットとは、みなさんが家庭で使う電熱器とか小さな電気ス
トーブとかはだいたい1キロワットで、そういうものが21万個、発熱を
続けてどうにも止められないということだ。これは崩壊熱がどのように
減っていくかを示したもので(図5 http://bit.ly/19Vtq3C )、原子
炉の核分裂が止まって3日後でも、家庭用の風呂桶1杯分に当たる140
リットルの水が1分間ごとに蒸発してなくなっていくほどの発熱をして
いる。この熱を冷やせない限り原子炉そのものが溶けてしまう。そして
実際にそうなった。

●1~4号機で何が起きたのか

 これが福島第一原子力発電所の写真だ(図6 http://bit.ly/19Vtq3C )。
真ん中に上から下にまっすぐ伸びているのが「タービン建屋」で、この
中にタービンと発電機が並んでいる。その左側が「原子炉建屋」でここ
に原子炉があった。一番上が1号機で、爆発で最上階が吹き飛んで、骨
組みだけになっている。1つ手前が2号機で、まだ形があるように見え
るが、この2号機こそが内部で最大の破壊を受けていて、環境に放射能
を撒き散らした主犯人だと、国と東京電力が言っている。もう1つ手前
が3号機で、やはり爆発が起きて最上階が吹き飛んで骨組みだけになり、
さらにその骨組みすらも崩れて落ちる程の猛烈な爆発が起きた。そのも
う1つ手前が4号機だ。

 2011年3月11日、4号機は定期検査中で止まっていたのに、この4号
機でも爆発が起きて原子炉建屋の最上階が吹き飛んでしまった。4号機
の場合は、特殊な壊れ方をしていて、最上階が吹き飛んでいるほかに、
さらにその下の階の壁も爆発で穴が開いている。この穴が開いた壁のす
ぐ隣に「使用済み燃料プール」がある。剥き出しで外から見えるほどだ。
そのプールの中に、広島原発が撒き散らした死の灰の1万4000発分の死
の灰が入ったままでここにある。

 原子炉建屋を縦に割るとこんな姿になる(図7 http://bit.ly/19Vtq3C )。
真ん中の繭型の構造物が「原子炉圧力容器」で、その中にウランを詰め
た「炉心」がある。ウランは、直径1センチ、長さ1センチの小指の先
くらいの瀬戸物に焼き固めてあり、それが燃料棒というチューブの中に
たくさん詰めてあって、そのチューブをたくさん立てて並べてあるのが
炉心。ここにどんどん死の灰が溜まってくる。それを冷やせない限りは
溶けてしまう。ところがあの日、地震と津波に襲われて福島原子力発電
所は全所停電になり、一切の電気が使えなくなった。ここを冷やそうと
するなら、水を回さなければならず、そのためには電気でポンプを動か
さなければならないが、その電気がなかった。それで溶け落ちてしまっ
た。

 瀬戸物は2800℃にしないと溶けない。炉心には100トンもの瀬戸物が
入っていてそれが溶けて下に落ちた。この圧力容器は厚さ16センチの分
厚い鋼鉄だが、鋼鉄は1400~1500℃で溶けてしまう。そこに2800℃を超
えた100トンもの塊が落ちれば簡単に底が抜けてしまう。その外側は理
科のフラスコのような形をした「原子炉格納容器」で、放射能を閉じ込
める最後の防壁として設計された。核燃料の塊はその床に落ちて、いま
床を壊しながら、ひょっとしたらもう格納容器の下に落ちてしまってい
るかもしれないという状態だ。

 そしてこれが溶け落ちるときに、さきほどウランの瀬戸物がパイプの
中に詰めてあると言ったが、そのパイプはジルコニウムという金属でで
きていて、この金属は温度が上がると周りの水と反応して水素を出すと
いう性質があり、そして水素がなぜか原子炉建屋の中に漏れてきた。格
納容器は放射能を閉じ込める最後の防壁で、水も空気も漏らさないはず
なのに、なぜかここから大量の水素が漏れて、建屋の最上階に溜まって
爆発して、先ほどの写真のように建屋を吹き飛ばした。つまり格納容器
が破れている。どこで破れたかは分からないがもう破れてしまって、水
素も放射能も噴き出してきた。それが1~3号機だ。

 4号機は先に述べたように定期検査中で、圧力容器の中にあった燃料
は「使用済み燃料プール」の底に移されていた。このプールは、格納容
器の外側にある。そこに広島原発1万4000発分の死の灰が眠ったままに
なっている。それを何とか冷やさない限りは溶けてしまうことになる。

●事故は収束していない

 残念ながら事故は収束していない。運転中だった1~3号機の炉心は
すべて溶け落ちた。それがどこにどんな状態であるかは、見に行くこと
ができないから、分からない。しようがないからひたすら水を入れて冷
やそうとしてきた。それが汚染水となって出て来るのは当たり前で、水
を入れても圧力容器は底が抜けているから、格納容器に落ちるが、格納
容器もたぶんあちこちで壊れていて、水は全然溜まらずに全部表に出て
来てしまう。そして今、敷地中が放射能汚染水で溢れかえっている状況
に追い込められている。

 なんとかそれを封じ込めなければいけないということで、いまこの瞬
間も福島原発ではたくさんの作業員が格闘している。ほんどは9次、10
次にまで及ぶと言われる下請け、孫請けの労働者たちで、被曝をしなが
ら苦闘を続けている。これから何十年、何百年と被曝をしなければいけ
ない。そして4号機は宙ぶらりんのプールには死の灰が溜まったままで
ある。

 これは(図8 http://bit.ly/19Vtq3C )今まで述べたような1~3
号機の様子を示している。次は(図9 http://bit.ly/19Vtq3C )8月
3日の朝日新聞だが、「汚染水封じ込め、窮地」とある。ここに絵があ
り(図10 http://bit.ly/19Vtq3C )、原子力建屋の地下もタービン建
屋の地下も水浸しで、そしてタービン建屋から港に向かってさまざまな
トレンチとかピットとか呼ばれるトンネルが走っていて、それも水浸し。
このトンネルの一部は港まで達しているが、事故の直後、2011年の4月
か5月に、それが割れて岸壁のところからこのように
(図11 http://bit.ly/H5mydu )ジャージャーと海に向かって水が流れ
落ちているのが見つかった。東京電力はここにコンクリートを流し込ん
で何とかしてこの部分の汚染水漏れを防いだ(図12 http://bit.ly/H5mydu )。
するとマスコミはこれで汚染水問題は終わったと思ったかのように一切
の報道をしなくなった。

 しかし考えて見てほしい、コンクリートは必ず割れている。割れのな
いコンクリートはない。だからコンクリートの中に水を溜めるというこ
とは基本的にできない。おまけに巨大な地震で原子炉建屋やタービン建
屋の地下もトレンチもそこら中で割れていた。たまたま見えた所でジャ
ージャー水が落ちていたから、そこは止めたと言うのだが、冗談ではな
い、もうそこら中でみんな割れて漏れていたけれども地下だから見えな
いというだけであって、2011年3月11日から汚染水はもうズーッと漏れ
続けていた。それが最近になってようやく「大変だ」とマスコミが言い
出したわけだが、そんなことはなくて、どうにもならないまま2年半以
上にわたって汚染水は海に流れてしまってきた。

●4号機プール崩壊の恐怖

 次に、これが3号機と4号機で(図13 http://bit.ly/H5mydu )、3
号機は最上階で爆発が起きて骨組みがさらに下に崩れ落ちている。私が
最上階と呼んだ所、2階建てのように見えるがこれは実は1階だ。4号
機も、やはり最上階の2階建てに見える所は吹き飛んで、さらにその下
の壁も全部抜けてしまっている。そしてこの壁の向こう側に、実は使用
済み燃料プールが宙づりのような形で存在している

 これが一番初めに見て頂いた穴の開いた壁の写真で(図14 http://bit.ly/H5mydu )、
プールはこの横にある。他の壁も全部抜けて、さっき見たのは海側から
見た写真だがその壁も全部抜けていた。この赤く伸びている変なものは
「キリン」で、プールにとにかく水を供給して燃料が溶けないようにし
ようということで連れてきた.その前には、自衛隊のヘリコプターで上
空から水を撒いたが散らばって入らなかったり、次に東京消防庁が遥か
離れた所から放水車で水を掛けようとしたが巧くかからない。最後にこ
のキリンが出て来て、ようやくプールに水を供給することができて、辛
うじて使用済み燃料が溶けずに済んでいる。

 しかし、先述のように、このプールはボロボロになった原子炉建屋の
中に宙づりのような形になっていて、そこには燃え尽きた燃料が1331体
がある。そのことに気が付いた東京電力は、事故直後に耐震補強工事を
やったと言っている。これは(図15 http://bit.ly/H5mydu )、毎日新
聞が東京電力の主張に沿って描いた絵で、プールの下に鉄骨を立ててコ
ンクリートを流し込んだというのだが、しかし実際には絵の左側半分は
工事できなかった。この床すらが既に損傷しているからいくら鉄骨を立
てても支えにならない。これは(図16 http://bit.ly/H5mydu )東京電
力が描いた図だが、格納容器の左横に使用済み燃料プールがあり、補強
できたのはこの赤い部分だけで、左側の半分はできなかった。

 あの地震の後も毎日のように福島では余震が続いている。もし次に大
きな余震が来て、ボロボロになっている建屋がもう一度崩れるようなこ
とになれば、プールの燃料が冷却できなくなって、大量の放射性物質が
噴き出してくるという危険が今でも続いている。

●困難きわまる使用済み燃料の取り出し

 それで東京電力は何をしているかだが、先ほどの写真(図14 http://bit.ly/H5mydu
を撮ったあとしばらく経ってから撮ったのがこれだ(図17 http://bit.ly/1a16kyq )。
左側が穴の開いた壁で、海側の壁は全部抜けている。プールは、この水
色の四角の位置に埋め込まれている。さっきの写真だとこの上に壁があ
ったが、もう半分は取り払った。何でこんなことをしているかというと、
このプールの底にある使用済み燃料を何とかして冷やさなければならな
いけれども、プールが崩れ落ちたらもう終わってしまうので、一刻も早
くどこかもう少しでも危険の少ないところに移さなければいけない。で
も、このプールの底にある使用済み燃料はそのまま水面より上に吊り上
げてしまうと、周りにいる人がバタバタと死んでしまうほどの猛烈な放
射能を発する。つまり出せない。

 じゃあどうやって出すのかというと、まず「キャスク」という巨大な
鋼鉄と鉛でできた容器を沈め、プールの底でそれに燃料を入れていく。
そして蓋をして、初めてキャスクごと外に取り出せることになる。しか
しそのキャスクは重さが100トンもあって、人間がロープで引っ張った
りできるものではない。そうなると巨大なクレーンがないと作業ができ
ない。元々ここには巨大なクレーンがあったが、建屋そのものが爆発で
吹き飛んで、クレーンも吹き飛んで、もう使えない。そうなれば、新た
にここにクレーンを建てるしかない。そのためには壊れてしまった建屋
をまず撤去しなければならないということで、今これが半分壊したとこ
ろ。さらに壊していってこんなになった(図18 http://bit.ly/1a16kyq )。
使用済み燃料プールはこの水色のシートがかけてあるところに埋まって
いる。横から見るとこうなっている(図19 http://bit.ly/1a16kyq )。
それにもっと巨大な建屋を上からかぶせて、その中に巨大なクレーンを
設置して、何とか使用済み燃料を取り出そうとしている(図20 http://bit.ly/1a16kyq )。
これは今年5月29日の写真で、今はもうこの建屋に壁が張られて、たぶ
んもうクレーンの設置工事もしているのだろう。そして11月の半ばにな
って初めて、使用済み燃料を取り出す作業を始められると東京電力は言
っている。一刻も早くやってほしいが、たぶんそのくらいかかるんだろ
うと私も思っている。

 作業を始めて次はどうなるかというと、先述のようにプールの底には
1331体の使用済み燃料があり、それを1体ずつキャスクに入れていく。
1つのキャスクに20体くらい入るはずだが、たぶんもう燃料が変形した
りしているので、本当に何体入るかは分からない。しかし、1体ずつ吊
り上げては容器の中に入れて、蓋をして、吊り出すということをやろう
としているのだが、1331体、1回もしくじらずに本当に容器に移せるの
だろうかと考えると、私は大変不安だ。途中にはさまざまなトラブルが
あって、また労働者が被曝していくんだろうなと思っている。その作業
を終えるのに何年かかるんだろうか。

 仮に4号機のプールから使用済み燃料を取り出したとしても、1~3
号機にもやはり使用済み燃料プールがあって、4号機ほど数は多くはな
いが、そこにも使用済み燃料が入っていて、それも吊り出さなければな
らない。これから何年か、10年で済むのか、ひょっとしたらもっと長く
かかるんだろうかと思うほど困難な仕事が待ち構えている。

●これまでの放射能被害の深刻さ

 さて、いまお話ししたのは、これからどれだけ危険な作業をしなけれ
ばならないかということだが、次に、これまでにどれだけ深刻な放射能
被害が出ているかをお話しする。

 ここに描いたのは(図21 http://bit.ly/1a16kyq )、事故を起こし
た福島原子力発電所が大気中に放出したセシウム137の量で、日本政府が
IAEAという国際的な原子力推進団体に出した報告書に書かれている値で
ある。私は先ほどから、ウランを燃やすと核分裂生成物という死の灰が
できると申し上げてきた。その核分裂生成物はおよそ200種類に及ぶ放
射性物質の集合体で、寿命の長いものも短いものもある。その中で一番
人間にとって危険が大きいと私が思っているのが、セシウム137だ。

 左下の小さな黄色の四角は、広島原爆が炸裂したときに大気中に撒き
散らしたセシウム137の量で、8.9掛ける10の13乗ベクレル。みなさん全
然ピンと来ないだろうが、とにかく広島原爆はこの四角の大きさと思っ
てほしい。では福島の原子力発電所がどれだけバラ撒いたかというと、
1号機だけで広島原爆の6~7発分、何といっても悪いのは2号機で、
3号機もバラ撒いて、当日運転中だった1~3号機を合わせると、広島
原爆168発分の放射能を大気中にバラ撒いた、と日本国政府は言ってい
る。しかし私はこの値は過小評価だと思っている。日本国政府は、福島
第一原子力発電所の安全性を確認して、「この原子炉は事故を起こさな
い」とお墨付きを与えた張本人だ。でも事故が起きてしまった。大変重
大な責任があるわけだし、私は責任などという言葉では甘すぎるので
「犯罪」だと言っている。犯罪者が自分の罪を重く申告する道理はなく、
なるべく軽く見せたいと思って示したのがこの値だから、たぶんこの2
倍か3倍だろうと思う。つまり広島原爆が撒き散らした死の灰の400発、
500発分をもうすでに吐き出してしまったということだ。

 その結果、東北地方、関東地方の広大な地域が放射能で汚れた。これ
も日本国政府が示している汚染地図だ(図22 http://bit.ly/1a16kyq )。
福島第一原子力発電所を中心に点線の円が2つ描いてあり、内側が半径
20キロ、外側が30キロ。半径20キロ以内の住民に対して日本国政府は、
事故が起きたので避難のバスを差し向けるからそれに乗って避難所に行
きなさいと指示を出した。30キロのほうは、事故が起きたので家の中に
閉じこもっているか、あるいは自主的に逃げなさいと指示を出した。し
かし、当日は地震で道路は寸断され、電気も全部止まっている。医者も
閉まっているし、ガソリンスタンドも閉まっているわけで、逃げろと言
われてもほとんど逃げることはできない状況だったので、30キロ圏内で
逃げた人は多くなかったろう。

 しかし、事故が起きて放射能が噴き出してきてしまえば、その放射能
は同心円的に等しくあちこちに流れるわけではない。風に乗って流れる。
初めは北風が吹いていたので、放射能は南へ向かって流れ、福島県の浜
通りと呼ばれる一帯を放射能汚染に巻き込んで、茨城県の北部まで汚し
た。一時期、放射能の雲が太平洋に抜けてまた茨城県の南部で戻ってき
て、霞ヶ浦一帯、千葉県の北部、そして東京の下町の一部をも汚染する
ことになった。

 ある時は、南西の風が吹いていて、放射能の雲が北西の方向に流れて、
赤、黄、緑の色が着いているところは猛烈な汚染地帯となった。放射能
の雲が流れてきたときに、ここで雨と雪が降り、雲の中から放射能が洗
い流されて地面を汚したからだ。その猛烈な汚染地帯は、20キロでも30
キロでも収まらず、40キロ、50キロも離れていて何の警告も受けていな
かった住民が巻き込まれた。そこは福島県の飯舘村があったところで、
原子力発電所からは何の恩恵も受けないで、自分たちの村は自分たちで
作ると言って長いあいだ苦闘を続けてきて、「日本一美しい山村」と呼
ばれるまでに作り上げてきた。そこが事故で猛烈な汚染に巻き込まれて、
ただし何の警告も受けなかったから住民はそこに留まって、何ヶ月も経
ってから猛烈に汚染していると政府から教えられて、全村離村になって
しまった。

 汚染はそれだけでは止まらない。風が変わって北から吹いてくれば、
放射能の雲は南に流れていく。福島県の中央に青い帯が見えるが、ここ
は東側に阿武隈高地、西側に奥羽山脈と、両側を山地に挟まれた平坦地
で、大変住みやすいということで福島県の人口密集地帯はほとんどここ
に並んでいる。北から伊達市、福島市、二本松市、郡山市、須賀川市、
白河市と、たくさんの人びとが住んでいるところを放射能の雲が舐める
ように汚染を広げていった。そして栃木県の北部、群馬県の北部を汚し
た。さらに風に乗っていくと長野県に入るはずだったのだが、その県境
には高い山並みがあり、放射能の雲は山を越えるのではなく山腹を捲く
よう南に流れ、群馬県の西半分、埼玉県の西部、東京都の奥多摩に汚染
を広げた。

●色のついた所は「放射線管理区域」に

 私はいま単に「汚染」という言葉を使ってきたが、少し数字で見てみ
たい。赤、黄、緑は1平方メートル当たりのセシウムが60万ベクレルを
超えてセシウムが土壌に降り積もっている。薄い青は10万~30万ベクレ
ル、濃い青は6万~10万ベクレル、そしてくすんだ緑は、会津とか群馬
県西部、宮城県北部、茨城県南部、千葉県北部、東京都の一部にもある
が、これらは3万~6万ベクレルである。

 ではこの数字にどういう意味があるかと言えば、私は京都大学原子炉
実験所という職場で放射能を取り扱う仕事をしている。私の職場には放
射能を扱う特別な場所があって「放射線管理区域」と呼ばれている。普
通のみなさんは放射能を取り扱うことすら許されないけれども、私は仕
事のために取り扱う。しかしどこで取り扱ってもいいのではなくて、放
射線管理区域の中でなければならない。そこは入ったら最後、水を飲む
こともものを食べることも許されない。そこで私は仕事を終えたらサッ
サと出たいわけだが、放射線管理区域はドアが閉まっていて、簡単には
出られない。そのドアを開けるには1つの手続きをしなければならない。

 私の手も衣服も汚れているかもしれず、そのまま外へ出れば普通のみ
なさんを被曝させてしまう。そこで手や実験着を測定して、1平方メー
トル当たり4万ベクレルを超えていればドアが開いてくれないシステム
になっている。もし実験着が4万ベクレルを超えて放射能で汚れていれ
ば、私はそれをそこで脱いで、放射能のゴミとして管理区域の中で捨て
るしかない。私の手が汚れていれば、もう一度ゴシゴシ洗う。水で洗っ
て落ちなければお湯で洗う。それでも落ちなければ、皮膚が少しくらい
溶けてもいいから薬品で落とせということになっている。そうしなけれ
ば外へ出られないというのが日本の法律だった。

 しかし、この地図のくすんだ緑の所ですら、1平方メートル当たり3
万ベクレルを超えている。濃い青の所は6万ベクレルを超えている。そ
れも、私の手や衣服が汚れているというのではなくて、大地全部が汚れ
ている。みなさん、見て下さい、窓の外を。ここがもし福島市だったと
すれば、この建物全部が汚れている。そこの道路が汚れている。校庭が
汚れている。向こうの山の森が汚れている。もう全部が汚れてしまった
ということだ。

 ということは、この地図でくすんだ緑以上の色が着いたところは「放
射線管理区域」にしなければならない。つまり無人にしなければならな
い。しかし日本国政府は、こんな広範囲を今さら無人にはできないと判
断した。そして、赤、黄、緑の猛烈な汚染地帯だけ人々を避難させてい
る。面積にして約1000平方キロ。琵琶湖が1.5個入ってしまう広大な所
から10万人を超える人々を故郷から引き離して流浪化させた。しかし本
当なら、こういう所の人を全部追い出さなければいけない。それほどの
汚染を受けている。

 当時の写真がこんなで(図23 http://bit.ly/H5mASK )、「この先立
ち入り禁止」と。人々が住んでいた町がなくなってしまうことになった。

●動物たちは取り残されて死んだ

 被害を受けたのは人間だけではない。これは牛(図24 http://bit.ly/H5mASK )。
人間たちは、政府がバスを仕立ててとにかく避難しなさいと言って避難
所に連れて行った。しかし牛や馬など家畜とかペットは取り残された。
この酪農家の人は、自分の牛を残して一度避難したが、それでも彼にと
って牛は家族だ。一頭一頭名前が付いていて、朝起きたら名前を呼んで
体をさすって、食事を与えて、一緒に住んでいた牛を、置き去りにして
きたと言って、彼は放射能の防護服を着てマスクをして、餌をやりに戻
ってきた。その時の写真だ。

 しかしすべての酪農家がこうではなかった。牛たちは囲われたまま、
逃げることもできずに次々に死んでいった(図25、26 http://bit.ly/H5mASK )。
牛だけではなく、馬も死んだ。この馬はもう痩せこけているが、助けに
来た人に何とか助けられたのだろう(図27 http://bit.ly/H5mASK )。

 ある酪農家は、自分の牛を繋いだまま死なせるわけにはいかないと、
解き放った。こういう牛たちが、いま無人の町に何百頭。何千頭といる
(図28 http://bit.ly/H5mASK )。日本国政府はこういう牛たちは放射
能で汚れているから殺せという指示を出している。しかしそれはできな
いという人たちもいて(図29 http://bit.ly/1bMX0f5 )、「殺処分反
対」と言って、「希望の牧場」という牧場を作ってやせ衰えている牛た
ちを集めて、そこで何とか命を繋ごうという活動をしている。

 もちろん家畜だけではない。ペットもみんな捨てられた(図30 http://bit.ly/1bMX0f5 )。
これは双葉町だが、こんな大きな看板が立っていて「原子力、正しい理
解で豊かな暮らし」と(笑い)。原子力が危ないなんて言う奴がいるけ
れども、そんな奴の言うことを聞くな。国が安全だと言い、東京電力が
安全だと言っているんだから、それを信じていれば豊かな暮らしができ
ると言って多額のお金を貰ってきた町だが、ついに無人になってしまっ
た。

 これは日本地図で、この下の方の丸がいまみなさんがいる鴨川だ(図31
http://bit.ly/1bMX0f5 )。福島原発はここにある。これに先ほどの汚
染地図を重ねてみた。みなさんの所は幸い、大した汚染には巻き込まれ
ずに済んだ。だから今も故郷に住んでいられるわけだが、余り安心して
ほしくはない。なぜなら、上の方の丸を付けた所に東海第2原子力発電
所があり、ここも3月11日の地震と津波でかなり破壊されたが、ようや
くにして炉心が溶けずに済んだ。だがもしここで溶けていたらどうなる
かというと、福島原子力発電所を中心とした汚染地図の青く伸びている
図形を東海第2から南に汚染が広がったと想定して地図を重ねると、汚
染の真っ直中になってしまう。東京も何もみんなだ。

 原子力発電所の事故はもし起きてしまえば、どこも安全なところはな
いというほど広い範囲が汚れてしまうということが分かるだろう。日本
国政府は、被曝の量が多くなければ大したことはない、安全だ、と言っ
ているが、そんなことはない。被曝はどんなに微量でも危険で、長い学
問研究の結果がそれを示している(図32 http://bit.ly/1bMX0f5 )。
ここにICRPと書いてあるのは「国際放射線防護委員会」だが、この勧告
には原子力を推進している電力会社や日本国政府も従っている。ではそ
の勧告に何が書いてあるかと言えば、要するに「100ミリシーベルトよ
り少ない被曝でもがんの危険の証拠がある」「被曝の量が少ないからと
言って安全ということはない」と書いてある。にもかかわらず日本では
「100ミリシーベルト以下なら安全だ」と言わんばかりの宣伝が行き渡
っている。私は、そういうことを言う学者はます刑務所に入れるべきだ
と思う。それほど大切なことだ。

 被曝はどんな量でもできるかぎり避けなければいけないのに、日本の
国は何をしたか。法治国家である日本ではこれまで、国民が法律を破れ
は国家が処罰をする、悪い奴は刑務所に入れるから、この国は安全なの
だと言ってきた。そうであれば、法律を作った国家が法律を守るのは最
低限の義務だろう。彼らが作った放射能に関する法律はたくさんあって、
例えば、普通のみなさんは1年間に1ミリシーベルト以上の被曝をして
はいけない、させてもいけないことになっていた。いま述べてきたよう
に、放射能で汚れたものを管理区域から持ち出そうとするなら、1平方
メートル当たり4万ベクレルを超えていればどんなものでも持ち出して
はいけないという法律もあった。しかし、さっきの日本政府が作った地
図を見れば、全然それが守れるような状況ではなくて、政府がこの法律
の一切を反故にしてしまい、そこに人々を捨ててしまうということをや
っている。

●私はこれから何に力を注ぎたいか

 私がこれからやりたいことは2つで、1つは、子どもを被曝させない
こと、もう1つは、今日はこの話はできないが、農業を含めた1次産業
を守ることだ。

 子どもを被曝させないという理由は簡単だ。原子力を選んだことに子
どもは責任がない。今日この会場に来て下さったみなさんを、ありがた
く思うが、しかしこれまで原子力を日本で許して来てしまって、その結
果、福島での事故を引き起こしたことについて、たぶんみなさんにも何
がしかの責任がある。これまで無関心でいたことも含めて、大人には責
任がある。しかし、子どもには責任がない。何としても子どもを被曝か
ら守らなければならないと思うし、また特に子どもは被曝に敏感だ。こ
れは放射性癌死の被曝依存性という図である(図33 http://bit.ly/1bMX0f5 )。

 ここで使うのは「万人・シーベルト」という単位で、これは1シーベ
ルトの被曝をした人を1万人集めれば1万人・シーベルト、1ミリシー
ベルトの被曝をした人なら1000万人集めれば同じ1万人・シーベルトに
なるわけだが、そのうち何人が癌で死ぬかということだが、全員が30歳
であれば3855人がやがて癌で死ぬ危険を負う。これは全年齢平均3731人
とほぼ同じ。ところが年をとっていくと、被曝に関してはどんどん鈍感
になっていって、なぜならもう生長はせずに衰えていくだけだから、55
歳になれば49人で、もうグラフの高さがほとんど見えない。平均に比べて
70分の1、80分の1の危険しか負わない。この会場に来ているみなさん
の多くはこれに該当する(笑い)。そして、こういう鈍感になった世代
こそが、日本という国で原子力を許して来てしまった張本人なのだ。そ
して危険は負わないで済んでいる。

 しかし0歳、5歳、10歳など、毎日面白いように生長していく子ども
たちは、平均の5倍というような被曝の危険を一手に負わされることに
なる。こういう子どもたちを被曝から守ることが、せめて私たちの責任
だろうと思う。どんなことができるかと言えば、一番いいのは避難だ。
私は本当であれば、先ほどの地図の広大な地域からすべての人を避難さ
せるべきだと思っている。日本国が倒産するくらいのことになるが、そ
れでもやるべきだ。日本が法治国家という限りは、人々を逃すのが一番
いい。しかしこのデタラメな国はそれをやろうとはしない。では次に何
ができるかと言えば、子どもたちを疎開させることだ。汚染地帯の子ど
もたちを1週間でもいい、10日でもいい、汚染地から引き離して夏の一
時を過ごさせようという運動を全国のたくさんの人たちが担ってくれて
いる。

 次は、校庭とか園庭の土を剥ぎ取ることだ。もう大人はいい。今日こ
こへ来ているみなさんも、大人はもう被曝をしても諦めて下さい。しか
し子どもたちが集中的に時を過ごす場所はきれいにしなければいけない。
剥ぎ取ったところで放射能はなくならないから、またどこかにそれを押
し付けなければならないのだが、これはやらなければならない。他にで
きることは、給食の材料を厳選することである。体内被曝を減らすため
だ。いま日本の国は1キログラム当たり100ベクレルという基準を作り、
それを超えるような食物は市場に出してはならないが、それ以下なら安
全だからと言って市場に回している。しかし、福島の事故が起こる前、
日本の食べ物、例えばお米は1キログラム当たり0.1ベクレルしか汚れ
ていなかった。100ベクレルということは、事故前の1000倍もの汚染を
許すということになる。先ほど述べたように、被曝はどんな量でも危険
であり、1キログラム当たり10ベクレルだって事故前の100倍になる。
もっともっと厳しい基準を作って、子どもたちにだけは、きれいな食物
を与えるようにしたい。学校給食は是非ともそうしてほしい。

 そのほかいくつか注意をしておきたい。ここ鴨川は福島原発の事故で
非常に強い汚染は受けなかったが、汚染がないわけではない。もちろん
この旧大山小学校の校舎や校庭も汚れている。そしてこういう鴨川のよ
うなところでも、実は猛烈な汚染が存在している場所がある。例えばこ
れを見ると、倉庫の入口に黒いシミのようなものがある。これは私たち
が「黒い物質」と呼ぶもので、猛烈に放射能が濃縮している。例えば東
京都東村山市や東京都葛飾区のような汚染が少なかったところでも、学
校や公園や駅前で1キログラム当たり何十万ベクレルというセシウムが
計測できる。子どもたちがこういう場所で遊んでいる。何度も言うが、
みなさん大人が被曝するのは構わない。しかし子どもたちが集まる場所
は何としても除染に取り組んでほしい。

 残念ながら、福島の事故は、まだ現地でも収束していない。故郷を追
われて流浪化している人たちにとっては、もちろん収束していない。放
射線管理区域に指定しなければならない地域に捨てられてしまった人た
ちにとっても、何も終わっていない。そしてみなさんの所だって、こう
いう黒い汚染物質があって、終わっていない。それなのにこの国では、
安部首相が「なんでもない」「完全にコントロールしている」「次はオ
リンピックだ」というようなことを言っている。冗談ではない。オリン
ピックどころではない、国が破産してもおかしくないほどの事故がいま
進行している。それを引き起こしたのは、日本にこれまでできた58基の
原発をすべて認可した自民党政権だ。それがこんな事態を引き起こして
いるのに、誰も責任を取ろうとしない。大変不思議な国である。みなさ
んには是非、この事故が終わっていないことを忘れないで頂きたい。終
わります。▲

第9回講演会無料公開!(〜10/23)

先日行われた第9回講演会の模様を、動画公開します。
10月23日までは無料公開です。
その後は、ブロマガに会員登録していただくことにより、
ご覧いただくことが可能です。
リンクはこちらです。
小出裕章×高野孟:原発ゼロ社会への道筋は?
どうぞご覧ください!

2013年9月18日水曜日

大山村塾第9回講演会チラシダウンロード!

今回、大村塾第9回講演会に小出先生がいらっしゃいます。

下記にダウンロードリンクを貼りますので、ダウンロードの上、ご友人にシェアしていただけると大変助かります。
どうぞよろしくお願いいたします。

事務局:首藤武宏

大山村塾第9回講演会チラシ


大山村塾第9回講演会、あの、小出裕章先生ご登場!

大山村塾第9回講演会
全国で引っ張りだこの、あの反原発博士がやってくる!

房総初の公開講演会!

福島原発事故から2年半・・・・。
事故を防げなかった大人として、私たちに何ができるのか?

日時:10月19日(土)
開場:大山公民館 13:30~16:00(開場13:00)
資料代:1000円

[第一部]講師:小出裕章こいで・ひろあき(京都大学原子炉実験所助教)
「今も終わらない福島原発事故の真実」
[第二部]討論「原発ゼロ社会への道筋は?」
パネラー:小出裕章、高野孟(大山村塾塾長)

 《講師略歴》
小出裕章(こいで・ひろあき) 1949年生まれ。京都大学原子炉実験所助教。原子力の平和利
用を志し1968年に東北大学工学部原子核工学科に入学するが、 女川原発反対運動に触れたことから原子力の安全性に疑問を抱 き、京都大学で放射線計測、原子力施設の工学的安全性を専門的に研究する一方で、伊方原発裁判、人形峠のウラン残土問題、 JCO臨界事故などで、放射線被害を受ける住民の側にたって活動 してきた。とくに福島原発事故以後は、講演会、ネットテレビ、マスコミで引っ張りだことなり、全国を飛び回る活躍を続けている。
《先生のお話をよりよく理解するための参考文献抄》
小出裕章『図解原発のウソ』(扶桑社、2012年、1050)
小出裕章ほか『原発ゼロをあきらめない』(明石書店、2013年、1680)
先生を一躍時代の寵児にした20115月参院での裂帛の参考人陳述
  http://www.youtube.com/watch?v=CEUxUdlJP0k
高野孟『脱原発社会への道程』(書肆パンセ、2012年、1470)

大山村塾塾長 高野孟

高野孟(たかの・はじめ)
1944年東京都生まれ。68年早稲田大学文学部卒業後、通信社、広告会社を経て75年からフリージャーナリスになると同時に、情報誌インサイダーの創刊に参加、80年から()インサトイダー代表兼編集長に。
94年に日本初のインターネット週刊誌「東京万華鏡を創刊、現在は「まぐまぐ!」からインサイダーの中身を含む『 高野孟のTHE JOURNAL』を有料発信中。

会場:
大山公民館
鴨川市金束5番地(旧大山小学校
室内履きをご持参ください

http://oyamasonjuku.blogspot.com/ 
mail: oyamasonjuku@gmail.com 
大山村塾事務局:080-4376-0027(首藤武宏)

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既に多数のお問い合わせをいただいております。
ありがとうございます。
講演会のお申し込み、予約は受け付けておりませんので、
当日、会場までお越し下さい。
お待ちしております。

2013年7月13日土曜日

第8回講演会終了!

熱中症になるほどの猛暑の中、講演会は決行されました。
東京の交通会館に事務所を持つ、ふるさと回帰支援センターの高橋公事務局長がご講演くださいました。

10年前、様々な困難を乗り越えて発足したふるさと回帰支援センター。
10年間かけて、ようやく運動が形になってきた、と力強いお話でした。
大山村塾事務局をつとめる不肖首藤も、そんなに簡単に運動をあきらめてはいけない、と改めて感じました。
第2部は、いつもは高野塾長の時局講演ですが、今回は鴨川市ふるさと回帰支援センターの事務局をつとめる鴨川市農水商工課のMさんを交えて、塾長とパネルディスカッションを行いました。
鴨川市ふるさと回帰支援センターの活動をお話ししていただき、それを受けて高野塾長が質問をしていきます。
鴨川市ふるさと回帰支援センターは、発足したのは今から9年前と、ふるさと回帰運動の老舗とも言えます。
鴨川市の施策の一つとして、重大な位置を占めるふるさと回帰運動をどのように進めていくのか、展望が語られました。
質疑応答では、参加者から様々な意見が出て、活発な意見交換がなされました。
ふるさと回帰運動は、大きな流れでは10年経ったわけですが、別の観点から見ると、
まだまだ大きな流れの緒に就いたばかりとも言えます。
大山村塾としても、何らかの活動に関われないか、そんな可能性を考えてみようと思った充実した講演会でした。

次回は10月19日。
京大原子力研究所の小出裕章氏をお招きします。
広く安房、上総地域からの参加をお待ちしております。
広報もしっかりしなきゃ!!!

2013年7月2日火曜日

第8回講演会!「ふるさとに帰ろう!」運動の10年間

「ふるさとに帰ろう!」運動の10年間で
世の中、こんなに大きく変わった。
若い世代も田舎暮らしに向かい始めた!

日時:7月13日(土)
   13:30〜16:00(開場13:00)
会場:旧大山小学校体育館
資料代:1000円

[第1部]講師:高橋公(たかはし・ひろし)
     ふるさと回帰支援センター代表理事

[第2部]鴨川に移住者・新規就農者を増やす方法
 パネラー:高橋公、長谷川孝夫(鴨川市長)、
      高野孟(大山村塾塾長)
講演:鴨川市ふるさと回帰支援センター

講師略歴:高橋公(たかはし・ひろし)
1947年福島県生まれ。早稲田大学在学中に「反戦連合」を組織して大暴れして中退。自治労、連合の政治政策局長を務めたあと、2002年にふるさと回帰支援センターを設立、代表理事兼事務局長。著書に『100万人のふるさと回帰宣言!』(コミュニティ・ブックス)、『兵どもが夢の先』(ウェイツ)ほか。

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第8回講演会のお知らせです。

第1部には、ふるさと回帰支援運動、農山漁村に移住したり、
都市と農村の二地域居住、都市農村交流を進めてきたふるさと回帰支援センター代表理事の高橋公氏においでいただき、ふるさと回帰支援運動の10年間で見えてきたもの、今後の展望についてご講演いただきます。

第2部は、通常は高野塾長の時局講演となっておりますが、今回は趣向を変えて高橋公氏と長谷川孝夫鴨川市長にご登壇いただき、塾長の高野孟が司会を務め、鴨川市のふるさと回帰支援運動について、今後の展開についてパネルディスカッションを行います。

少子過疎高齢化が急速に進む我が国で、一つの光明とも言えるふるさと回帰運動から、今後どのように地域で暮らしてゆくべきか、考えていきたいと思っています。

ご来場お待ちしております。

担当:首藤武宏(080-4376-0027)
mailto:oyamasonjuku@gmail.com

2013年6月7日金曜日

6月15日(土)大山村塾座会 巨大企業モンサントの世界戦略上映会

6月15日(土)大山村塾座会 巨大企業モンサントの世界戦略上映会

 安倍政権の経済政策の3本目の矢としての成長戦略に、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)など経済連携の推進が明記される見通しです。TPPへの参加も、いよいよ現実味を帯びてきました。
 しかし、経済連携という耳に聞こえのよい言葉にふくまれる、グローバル経済の実態はどうなのか。
巨大企業が作物の種子を操作するとはどのようなことなのか。
私たちは、その意思に押し流されてしまうのか。
それに対する運動はどんなものが行われているのか。
 ドキュメンタリーをみて、私たちはどのような準備をすべきか、考えていきたいです。

<タイトル>
巨大企業モンサントの世界戦略上映会
ー遺伝子組み換えとは?TPPでどうなる食の安全?-
・会場:新大山公民館講堂二階(旧大山小学校)
・参加費:無料
・開場:13:00
・開演:13:30 主催者挨拶 
・13:35ー14:25
◆巨大企業モンサントの世界戦略(前編)http://enzai.9-11.jp/?p=4347 
・休憩
・14:30-15:20
◆巨大企業モンサントの世界戦略 (後編) http://enzai.9-11.jp/?p=4347 
・15:20ー15:35-解説(田中正治)
ー遺伝子組み換えとTPPに対してどのように対処したらよいのか?
・15:35-15:50-質疑、討論

山形県で新庄の農家と水田トラスト活動を継続し、鴨川市平塚でも都市住民とともに米作りをしている田中正治氏が現状を解説してくれます。
ぜひ、おこしください。

お問い合わせ:oyamasonjuku@gmail.com
首藤 武宏 080-4376-0027


2013年4月9日火曜日

大山村塾第7回講演会:菅原文太氏が来鴨!!!


「仁義なき戦い」 トラック野郎」の」 
あの名優が76歳にして山梨県北杜市に
3反歩の遊休地を手に入れ 、農園を立ち上げ
農業の後継者育成に。取り組み始めた。

なぜだ? 

我慢がならねえんだ!
命が粗末にされているこの国に。

大山村塾第7回講演会

420日(土)
会場:旧大山小学校体育館
13:3016:00(開場13:00
資料代:1000

[第一部]
「私が70歳代半ばで山梨で農業をはじめたわけ
講師: 菅原文太(竜土おひさまの里農園代表)

[第二部]
TPPで日本はアメリカの言いなりに」
講師:高野孟(大山村塾塾長)
安部首相は自民党内の反対も蹴散らしてTPP交渉参加に突進
喜んでいるのはアメリカだけではないのか!

《講師略歴》
菅原文太(すがわら・ぶんた)
1933年宮城県生まれ。早稲田大学進学後、ファッションモデル、劇団四季を経て1958年に新東宝「白線秘密地帯」で映画本格デビュー。67年に東映に移籍、73年からの「仁義なき戦い」シリーズ、75年からの「トラック野郎」シリーズで一気にスターダムにのし上がった。
1998年に飛騨地方で田舎暮らしを始め、2009年には山梨県、北杜市に農地を買って「竜土おひさまの里農園」を設立農業の後継者育成に取り組んでいる。
山梨県の農業協力隊推進事業コーディネーター。ふるさと回帰支援センター名誉顧問。

問い合わせ:大山村塾事務局
mail: oyamasonjuku@gmail.com
(首藤武宏:080-4376-0027

今年度最初の講演会となります。
ぜひご参加ください!

2013年3月22日金曜日

大山村塾特別企画「エネルギー自 給自足の先駆者2人の実験場を市原市に訪ねるツァー」ご報告!

先日行った太陽光発電実験場ツアーの報告を、
高野塾長のメールマガジン、高野孟のTHE JOURNALより転載いたします。

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3月16日(土)

 朝9時に旧大山小学校に集合して、大山村塾特別企画「エネルギー自
給自足の先駆者2人の実験場を市原市に訪ねるツァー」に総勢11人で出
発。

 1時間15分ほどで市原市皆吉にある長島彬=CHO研究所所長のソー
ラー・シェアリング実証実験場に到着し、早速現場で説明を受けた(写
真館参照)。「ソーラーシェアリング」とは、太陽の光を農地の作物と
太陽光発電とでシェアする仕組みで、長島さんによれば、植物は一定量
の光があれば育ち、それを超える量(光飽和点)の太陽光は植物にとっ
てむしろストレスとなり、成長を阻害する因子となる。多くの植物にと
っては「ブナの林の中のような明るい木漏れ陽の状態」(長島氏)が望
ましいのだそうだ。そこで、生育に必要な分を除いた、余剰の太陽光を
発電に使う。
 具体的には、農地の上に、足場用の単管パイプを使用してフジ棚のような
構造物を設け、4分の1程度の面積になるように、スリット状に
太陽光パネルを設置する。実験の結果、収穫に影響はなく、作物によっては
収量が増えたと言う。夏の間の水やりも減らすことができるメリットもある。

 しかし「ソーラーシェアリング」の最も重要な点は、これを売電すれ
ば農家の新たな収入源にもなることだ。農家が1反(約1000平米)の田
んぼで米を作って7~8俵獲れたとして1012万円の収入にしかならな
い。ところがその田んぼの上に「ソーラーシェアリング」を設置して売
電すれば100万円になり、反当たりの農家収入は年110万円になる。つま
り農家は電力料金という安定した収入を得ながら、新しい品種に取り組
んだり、経営を多角化することができる。
 それが可能であれば、農家の後継者不足や自給率低下の解消も夢では
なくなって来る──というのである。
1反の広さにソーラーシェアリングを設置する費用は250万円ほどだ。

 12時過ぎに見学を終え、車で15分ほどの「ブリック&ウッド・クラ
ブ」に移動して中島健一郎さんと落ち合い、クラブハウスの一室で昼食
をとりながら「土太郎村」構想についてレクチャーを受けてから、歩い
て見学した。
 ブリック&ウッドはゴルフクラブで、その母体となる会社が、
隣接する元土砂採取場の広大な土地が産廃業者の手に落ちそうになったのを
食い止めてそこを入手した。それを活用するために、
元毎日新聞社会部長・常務の中島さんが中心になって自然と人間の調和、
再生可能エネルギーによる自立をテーマとした理想のビレッジを作ろうと
いう大構想が動き出し、現在ほんの一部に第1期工区の23区画の造成が
終わって完売、すでに14軒が建っている。その1軒が中島さん自身の別
荘で、太陽光発電と太陽熱温水だけですべてのエネルギーを賄っている。

 このエネ自立システムを設計・施工した在日ドイツ人エンジニアの
バルテンシュタインさんによると、電気には(1)生命維持に必要な電気、
(2)あれば快適な電気、(3)あってもなくてもいい電気、(4)無駄な電気、の
4種類があって、3・11後に日本人の多くはようやく(4)に気が付いて
小まめに消すようになったが、もっとよく自分の電気の使い方を研究して
(3)(2)についても、少しだけ我慢すれば削減できることを知るべきだ
という。
 実際に中島宅では、太陽光発電の電気は鉛蓄電池に溜められて普通は
13V前後で出力されるが、11Vを切ると蓄電池が回復しなくなるので、
小まめに台所の壁にあるメーターをチェックし、切りそうになると、
例えば浄化槽の曝気装置は四六時中稼働させておく必要がないのでその
スイッチを切る、といった工夫で(1)の生命維持に必要な電気だけを確
保するようにしている。電灯はもちろん全てLEDだ。暖房は、太陽熱温
水器で暖められた湯を蓄熱水槽に溜め、それを床下に巡らせたパイプに
循環させた床暖房と、外壁と内壁の間に大量のモミガラを詰め込んだ壁
断熱の組み合わせで、山の中でも冬に十分に快適な室温を実現している。
夏の冷房は、窓を網戸にして風通しをよくし、軒下に組み込んだファン
で夜気を室内に取り込むだけ。参加者一同、「へぇー、こんなやり方が
あるんだ」と大いに感心した。



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第一回の大山村塾特別企画でした。
来年度が4月から始まりますが、
こんな形で外に出て行ったり、いろんなイベントを企画しております。
今年一年も、大山村塾にご注目、ご期待ください!

担当:首藤 武宏


2013年3月12日火曜日

(再掲)3月23日の座会は映画上映!→事前申込制です!!


今年度最後の座会のご案内です。
加藤登紀子さんも駆けつけてくれます!
トークにも参加予定です。
少人数で、豊かさについて考えてみませんか?
ご連絡お待ちしております。
担当:oyamasonjuku@gmail.com (首藤宛)


大山村塾 座会 3/23(土)

「タイガからのメッセージ」映画上映


大規模な森林伐採からロシアの原生林タイガを守り、
自然と共生して暮す先住民ウデヘのドキュメンタリー映画。
311を体験した日本に「本当の豊かさ」を問う、
原生林タイガからのメッセージ!

場所 大山青少年研修センター
   (千葉県鴨川市平塚1717−15)
開場  15:30
上映  16:00~17:20
トーク 17:30~18:30  監督 三上雄己
懇親会 19:00~20:30 

参加費 映画2000円 懇親会1000円

※今回は申し込み制ですので、事前にご連絡ください。
連絡先:oyamasonjuku@gmail.com (担当:首藤)

2013年2月28日木曜日

(再掲)3月9日高野孟塾長講演会!

明日から3月。
3月は塾長も、大山村塾もイベントが毎週あります!
まずは、3月9日。
御宿町にて「これからの日本を考えるタウン・ミーティング」が開かれます。
高野塾長も講演しますので、ぜひご参加ください!

2013年2月10日日曜日

キーワードはインパクト!!!

大山村塾第6回講演会、終了しました。
60名を超える参加があり、旧幼稚園の体育室は満席。
岡山県美作市で主な活動を行う英田上山棚田団の西口和雄さん(@かっち)を
講師にお招きしたら、
なんと、岡山県から車で来る方たち、東京から合流する方達で、
総勢6人で登場!
そのうちの一人は昔鴨川自然王国会員だった方で、
思わぬ邂逅にうれしさを覚えつつ、一体この人たちはどんな人たちなんだ?と
不思議な気持ちと興味津々な気持ちで講演を待ちました。

まず始めに、塾長のご挨拶。
今回の講演は、塾長がある会合で後述する原田さんと出会ったことがきっかけで、
「面白い!ぜひ講演に来てください」とお願いしたことがきっかけ。

塾長が手に持っている本、「愛だ!上山棚田団ー限界集落なんて言わせない!」
を企画した方が、原田さん(@ボブ)。
あ、申し遅れましたが、英田上山棚田団の面々はお互いをニックネームで呼ぶのです。
これも面白い。
ボブは、棚田団の活動に興味を持って、
「これ面白い活動やから本にしたら?」と投げかけると、
「ほなボブやってよ」と言われてしまい、
それで本にするプロジェクトに取りかかったとのこと。
それが、冒頭の一冊に仕上がり、私たちの手元に届けられたのです。
ある一言が行動を生み、形につながっている実例です。

そして、西口さん(@かっち)。
本日のメイン講師です。
上山集落に入り、活動を進めて行く中で、
「あれこれ考える前に、もう野焼きしてしまおう!」
とすごい面積を野焼きしたそうです。
その瞬間、あれこれいっていた村の人たちも、
大阪から来た彼らに対して、
「お前たちは本気なんだな」
と認めてもらえたと。
村のお年寄りが、「棚田が復活した」と涙を流して喜んでくれたこと。
かっちは、今もそのときのことを思い出すと涙ぐんでしまうそうです。
実際、昨日の講演でも涙ぐんでおられました。
野焼きのインパクトはでかかった、と行っておられました。

彼らの活動は、多岐にわたっており、短い文章で表現し尽くすことは
なかなか難しいのですが、
一言で言うと、「楽しい事は正しい事!」を合い言葉に、
やりたい、といったことを実現してしまう、そんなエネルギーに
満ちあふれている集団だと言う事です。

ただし、やみくもにやっているわけではありません。
かっちは消防団にも所属しており、
野焼きをする上においても、「おれが責任を取るからやれ」
と若者たちに声をかけ、絶対延焼しないように、
「死ぬ気で」注意して野焼きをするというのです。
もし、延焼してしまえば、彼らの活動はもう認められなくなってしまう。
私も消防団に所属しており、「絶対延焼させない」「信頼を大切にする」ということは
とても印象に残りました。



さらに、ウメリー@上山集楽プロジェクトも紹介されました。
これを紹介してくれたのは田中さん(@フミメイ)。


文脈コンテキスターを名乗り、棚田団の活動を説明してくれました。
そのなかで、梅を植えたらいいじゃないか?という提案をしたところ、
ボブと同じく、じゃ、ふみべえやってよ、ということで、
冒頭の企画をやっているとのことです。
彼の言葉で印象的だったのは、
「じゃ、やるよ。といって走り出すとみんなついてきてくれ、
一緒にやってくれるから安心して走れる」
という言葉です。
このグループの強みは、ひとりぼっちにせず、みんなでどんどん進んで行く
ところにありそうです。

最後に、梅を植える場所を一ヶ月かけて伐採し、野焼きした
梅谷さん(@うめちゃん)の登場です。
英田上山棚田団の活動に刺激を受けて、
総務省企画の「地域おこし協力隊」として美作市に派遣されています。
大学院を卒業して、この場にくれば自分の力を発揮できる、育ててもらえる、ということを強く感じて今活動している、と熱く語ってくれました。


誰の話を聞いても、刺激を受けることばかり。
感動が先に立って、若干わかりづらい文章になっていますが、
今回の講演を受けて、今後大山村塾としてどんな活動をして行くのか、
そのきっかけを得られた気がします。


今回は、鴨川市内、鋸南町、南房総市富山、白浜から、
千葉県市原市、神奈川、東京からも参加がありました。
なんとか一年やって来れたのは、皆さんのおかげです。
来月の座会で、本年度最後になりますが、
インパクトある企画をうっていきたいと思っています。


みなさん、一緒にやりましょう!

2013年2月1日金曜日

大山村塾関連イベントの紹介です。


塾長より、面白そうだという案内があり、
このサイトにも転載させていただきます。
ご関心のある方は、こちらにもぜひどうぞ。

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内村鑑三と南房総のつながりの市民講座、下記にご案内申し上げます。 
 
南房教会市民講座
「内村鑑三の進路を変えた布良の神田吉右衛門翁」
 
話し手: 平本紀久雄氏
 
日時:2013年2月17日(日) 午後2時ー4時
 
場所:日本キリスト教団南房教会(館山市上真倉1958)
   0470-23-9910
 
館山市布良は、かつてマグロ漁とアワビ漁で栄えた集落です。
明治期に布良を日本一の漁港にした立役者・神田吉右衛門翁(1834-1902)は、
単に漁業家であったばかりではなく、類まれな道徳家・教育者・政治家でした。
 その一例が、当時弱冠29歳の水産伝習所(現在の東京海洋大学の前身)の
青年教師だった内村鑑三に大きな影響をあたえたことです。神田翁の一言によって
内村は意を決して辞表を提出し、水産技師から宗教家・思想家の道に進みました。
 内村鑑三は、明治・大正・昭和初期の日本史上に名を残したキリスト教伝道者・
思想家です。彼は生前、一高不敬事件・足尾銅山鉱毒事件批判・絶対非戦論を
展開し、台頭する軍国主義や独占資本主義による環境破壊をするどく批判しつづけ、
早くから軍国日本の破滅を預言しました。
 そして敗戦後、内村の愛弟子の南原繁や矢内原忠雄たちが戦後日本の
民主教育の牽引者となったのです。
 今回は、神田吉右衛門翁の類まれな人格と地元に残した多くの業績について学び、
あわせて演者の地域おこし(地元学)の一端を共有します。
 

塾長登場イベント紹介!「これからの日本を考えるタウン・ミーティング」



鴨川に住む上田さんが御宿町でプロデュースするイベントです。
面白いイベントになりそうです!!!
お問い合わせは、チラシに記載されている御連絡先にお願いいたします。
(事務局:首藤武宏)

2013年1月22日火曜日

大山村塾新年会

今日は大山村塾新年会。
すぐ近くにあり、いつも懇親会で利用させてもらっているシュガーソルトカフェで行いました。

高野塾長を始め、昨年一年陰に日向にお手伝いしてくださった方がたくさん集まってくれました。
加藤登紀子さんも、yaeちゃんも駆けつけてくれました。

今暖めている、様々な活動について話し合う中で、
よし、来年度も頑張ろう、と思うのでした。

おいしいお酒だった!!!

(事務局:首藤武宏)

2013年1月21日月曜日

第6回大山村塾の座会は映画上映!(事前申込制です)


まだ2月の講演会も実施されていませんが、あらかじめのご案内です。
第6回の座会、いつもの旧大山幼稚園を離れて、大山青少年研修センターで行います。
また、開催時間にも変更がありますので、ご注意ください。

大山村塾 座会 3/23(土)

「タイガからのメッセージ」映画上映


大規模な森林伐採からロシアの原生林タイガを守り、
自然と共生して暮す先住民ウデヘのドキュメンタリー映画。
311を体験した日本に「本当の豊かさ」を問う、
原生林タイガからのメッセージ!

場所 大山青少年研修センター
   (千葉県鴨川市平塚1717−15)
開場  15:30
上映  16:00~17:20
トーク 17:30~18:30  監督 三上雄己
懇親会 19:00~20:30 

参加費 映画2000円 懇親会1000円

※今回は申し込み制ですので、事前にご連絡ください。
連絡先:oyamasonjuku@gmail.com (担当:首藤)

2013年1月20日日曜日

第6回講演会のお知らせ:もう「限界集落」なんて言わせない!


大山村塾第6回講演会のお知らせです。
昨年4月から始めて、ようやく第6回を迎えました。
会場は小さいですが、大阪から3名が来鴨されます!
通常通り、講演会後にシュガーソルトカフェにて懇親会も開かれます。
ぜひお越し下さい!

<第6回講演会>
日時: 29日(土)
   13:3016:00(開場13:00
会場:旧大山幼稚園
資料代:1000

[第一部]
限界集落?
限界は突破するためにある!
「競争社会」から「協創社会」へ
講師:西口和雄(NPO法人英田上山棚田団)

大阪で生まれた異業種交流グループが、ヒョンなことから
岡山県美作市の荒れ果てた棚田の復活に取り組んだ。
彼らの熱意が地元を動かし、行政を巻き込んで、
里山に眠る宝を掘り起こす一大ムーブメントが始まった。
限界だからこその底力。
もう「限界集落」なんて言わせない!

[第二部]
「安倍政権で日本はどうなる?」
  講師:高野孟(大山村塾塾長)

民主惨敗、自民大勝で安倍政権誕生。原発再開?集団的自衛権?改憲?
右斜め後ろへの突進を止められるのか。

《講師略歴》
西口和雄(にしぐち・かずお@かっち)
1966年大阪府生まれ。ゼネコン勤務等を経て、林業を志し独立。
2007年より関西を中心とした「楽しい事は正しい事!」をコンセプトに独立した個が連携して新しい価値を創造する協創LLPを組織。
その中のプロジェクト「NPO法人 英田上山棚田団」の活動で、岡山県美作市上山地区の耕作放棄地となった棚田の再生を始める。
草刈り、野焼き、稲作といった一連の流れを経験するなかで、移住を決意し、2010年には美作市地域おこし協力隊に委嘱され初代隊長(現総長)に就任。美作市上山地区での棚田再生の活動は20116月に『愛だ!上山棚田団限界集落なんて言わせない!』という1冊の本となり、その中心的人物として全国の自治体から注目される立場となっている。

2013年1月19日土曜日

第5回座会を終えて・・・住民参加型社会の実現を

旧大山幼稚園にて、第5回座会が開かれました。
12名という、参加者は若干少なかったのですが、
活発な議論が交わされました。

もともとは、DVDをみてから議論、という流れだったのですが、
音声上の理由で途中でDVDを遮断し、議論に入りました。
TPPに加盟することで、日本の自給力が阻害されるだけでなく、
日本独自の軽自動車、共催等の保険制度にも変更が加えられる可能性など、
様々な危惧が議論されました。

しかし、脅威ばかり話していても仕方がありません。
どうすれば、政治に一人一人の意見を反映させることができるのか、話し合われました。
オンブズマンのような制度が鴨川にあるといいよね、
もっと情報公開してほしいよね、
という意見が出ましたが、
市議を務めておられる参加者から、
「市長も市議も、何かやりたいと思ったときに、
市民の意見が多数吸い上げられていれば、
既得権益層の意見だけが重視されず、
市民を意識した姿勢に転換しやすい」
という発言が出て、私はこれに膝を打ちました。

なんとかして市政に意見を反映させたいと思うときに
「市民派の議員を出そう」という方向もありますが、
多くの市民の意見を集めることができれば、否応無しに
反映させざるを得ないということになる。

また、地方自治体が制定する条例として、
「地方自治条例」という条例があり、
その代表例としては、北海道ニセコ町の事例があるとのこと。

こんなことも、今後の大山村塾で議論していきたいです。
ただ単に、講演会を開くだけの団体ではなく、
具体的に提言までしていける存在でありたい。
そんな可能性を感じることので座会でした。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

事務局 首藤武宏

2013年1月15日火曜日

第5回座会はTPP!!!


すっかりご無沙汰してしまいました。
寒中お見舞い申し上げます。

直前のご案内ですが、今週末1/19()
旧大山幼稚園にて13:30~16:00
大山村塾を行います。(参加費無料)

テーマは「TPP と農村」です。
自民党が政権を再び取った日本は、
TPPに参加する可能性がかなり高くなってきました。

TPPに参加すると、食糧自給率が10%に下がると
農水省は試算しており、農村にとっては相当な逆風が吹くと思われます。
また、農業だけでなく色々な分野に影響があると言われています。

以前、旧三芳村で行われた鈴木宣弘先生の講演「TPP基礎講座・農村の未来像」のDVDをお借りしたので、それを見てからTPP参加後の農村地域について、
みなさんと意見交換をしたいと思います。
ぜひ、ご参加ください。

*年明け一回目の座会となります。
今年も、どんどん盛り上げていきます。
どうぞよろしくお願いします!!!